Von Herzen – Möge es wieder – Zu Herzen gehen

   これは Missa solemnis(ミサ・ソレムニス)の楽譜の余白に、それを作曲した Ludwig van Beethoven(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)が殴り書きした言葉です。詠んだとも言えないでしょうか。何か五七五の俳句のような感じがするからです。義兄の故村方千之はこの言葉が好きでした。自ら和訳した

心よりいでしもの
再び心に至らんことを

これを自分のサインに添えていました。クラシックの音楽家なのでドイツ語は多少学んできたとは思いますが、この翻訳にはさすが苦労したと思われます。今から30余年昔、ネット翻訳もない時代です。ここで義弟として翻訳を手伝ったと自慢したいのですが、電話で相談があったときに聴いた訳文が既に完璧だったので、ただ同意しただけです。なぜ「自ら和訳した」と言い切れるのでしょうか。くどいようですか音楽家です、著作権には敏感です、他人の著作を使うのを良しとしないのです。そういう人でした。

   この訳文に勝手な解釈をします。まず

Von Herzen

これが意味上の主語で名詞句のように「心よりいでしもの」と訳し、後に続く「es」が文法上の主語なので訳しません。
助動詞の

Möge ~ gehen

には「mögen」の接続法Ⅰ式が使われています。これは本来、接続詞を用いずに主文と副文を接続するための動詞の用法です。この副文だけを読むと「(~ことを)我は望む」「(~ことを)我は夢見る」などと主文を補いたくなります。それをあえて補わずに「~ことを」で止めるのが正解だと思います。何を補うかは読み手が判断することです。
勝手な解釈をさらに続けます。この文はハイフン(Trennstrich)で切って、一行で書かれています。それぞれの文頭が大文字で書かれているので

Von Herzen
Möge es wieder
Zu Herzen gehen

としたかったのではと想像できます。最初に「俳句」と言ったのはそのためです。ならば訳詩は俳句のように分けて書きましょう、義兄のしたように。

   義兄の遺志ではなかったのですが、墓石にも彫刻されています。墓参りに来てくれるひとに伝える言葉としてこれ以上のものがあるでしょうか。本人もそれを是認するはずです。