Biblia, Das ist: Die ganze Heilige Schrift Alten und Neuen Testaments

 これはマルチン・ルターが翻訳した聖書の表題です。キリスト教の聖典と言えば旧約聖書と新約聖書ですが、ドイツ語ではそれぞれ「Altes Testament」と「Neues Testament」と言います。今では「Biblia(ラテン語)/ Heillige Schrift」と断り書きしなくとも、それだけで聖書を指します。(「A」「N」「H」が大文字であることに注意)

 ここで日本語の旧約と新約の「約」とは「契約」の「約」です。より詳しく言えば、神とユダヤ人との旧い契約、神と人(ユダヤ人とそれ以外の民族)との新しい契約ということでしょうか(キリスト教信者ではないコラム子の私見です)。

 当然「Testament」は契約の意味になるかと思いますが、この言葉にそんな意味は微塵もなく、遺言(書)のことです。日本の独和辞書には「(神と人間との間の)契約」とありますが、これは新旧の聖書に限っての用法です。つまり世界で2つしかない表現のために「契約」と意味を曲げて使っているだけです。本来、ドイツ語であれば契約を意味する「Bund」などにすべきだったはずです。

 なぜこんなことが起こったのでしょうか。調べてみると、ここでもまたもや伝言ゲームの落とし穴がありました。

 旧約聖書はヘブル語で書かれ(一部アラム語ですがそこは忘れてください)、新約聖書はわけがあって1)「新約聖書はなぜギリシャ語で書かれたか」加藤 隆 著/大修館書店、ギリシャ語(コイネー・ギリシャ語)で書かれました。

 へブル語で契約を意味する言葉は「ベリット」だそうです。新約聖書の中では旧約聖書の文句が多く引用されています。この言葉も新約聖書の引用文の中でギリシャ語に訳す必要がありました。そこで訳語として選ばれたのが「ディアテーケー」という言葉です。それに「契約」という意味の他に「遺言」という意味があったのが、最初の不運です。新約聖書が書かれた紀元一世紀に、この言葉は訳語であることが忘れられてか「遺言」という意味にも使われてしまいました。

 ここまでは原書の話です。その後、二世紀になって聖書(の写本)はラテン語に訳されます。問題の「ディアテーケー」は「テスタメントゥム」と訳されました。なんとここまで来るとこの単語には「契約」という意味はなく「遺言」そのものでした。「ディアテーケー」を訳したくても「契約」と「遺言」の意味を併せ持つラテン語がなかったからでしょうか。結局この「テスタメントゥム」に本来ない「契約」という意味を付加することになってしまいました。「ディアテーケー」と同様に二つの意味を持たしたわけです。これが次の不運、いえ最大の不運です。

 それから数百年経った十六世紀初頭、マルチン・ルターは聖書をドイツ語に翻訳しました。ルターはラテン語聖書に則り新約聖書の「ディアテーケー」を「Testament」と訳し、これを「Bund:契約」の意味で使いました。そのため後世のルター訳2)Lutherbibel 1912では、「Testament:遺書」を意味している「ディアテーケー」には
  Das griechische Wort für “Bund” bedeutet auch “Testament”.
  この契約の意味のギリシャ語は「遺言」をも意味する。
と注釈を付けています。

 翻訳聖書は基本的には字義訳です。ひとつの単語にはひとつの訳語を対応させるということです。ルターはそれを忠実に遂行しただけです。それにしても「ディアテーケー」を「Bund」とすることもできたはずです。それをしなかったのは若い頃から夢中で読んだラテン語聖書(グーテンベルグ聖書)の「テスタメントゥム」を無視できなかったのでしょう(私的想像ですから間違っていたらご容赦ください)。

 今日の口語訳聖書では契約を意味する場合は「Bund」、遺書を意味する場合は「Testament」と訳し分けています。ただ新約聖書の中で、この単語が間違いなく「遺言」の意味で使われているのは2個所だけです3)ガラテア書1語、へブル書2語

References   [ + ]

1. 「新約聖書はなぜギリシャ語で書かれたか」加藤 隆 著/大修館書店
2. Lutherbibel 1912
3. ガラテア書1語、へブル書2語